前回に続きとして、SE に向いていない人(=成果が出づらい人)のついて言及していきます。
システムエンジニアに向いていない人
- 縦の関係を築きたがる
- 枝葉の議論に終止する
- 現状維持を好む
- 評論家
- 理路整然が過ぎる
それではひとつずつ見ていきます。
縦の関係を築きたがる
いわゆるマウントさんです。どこの職場でも嫌われますが、当然システム開発の現場でも嫌われます。
SE は技術職であり職人でもあります。職人の世界、例えば伝統的な料理人や大工はまず誰かの弟子として下積み時代を迎えます。しかし SE は誰かの弟子入りすることはまずありません。メンターとして誰かを師事することはあるかもしれませんが、特定の人物を長期にわたって師事することはありません。システムエンジニアリングは汎用性の高い技術であり、特定の人だけが行うことができる、特定の組織に伝わる、いわゆる「創業開始から注ぎ足しされているタレ」や「一子相伝の拳法」のようなものは存在しません。一部の天才と呼ばれるような人は別ですが、プログラミングの初学者から一人前になる工程では多くの人が似たような道を歩むことになります。その結果優秀な SE は思考、成果物が似通う傾向があります。特に優秀な SE が書いたプログラムは非常に簡素な傾向にあります。
少し話がそれましたが、まずお伝えしたいことは、システム開発は共同作業だということです。よほど小規模な場合を除きひとりで完結するということはありません。PM[1]PM=プロジェクトマネージャ:プロジェクト全体の管理を行うやディレクタ[2]ディレクタ:プロジェクト全体の推進や方向性を決める。PM とその定義は曖昧だが、慣習的に PM よりやや作業者寄りのタスクが多いがプロジェクト全体の方針は決めるものの、モダンなシステム開発手法を取り入れた開発現場では、それは上下関係でなく、単純に役割だと認識されます。デザイナ、SE、プログラマもみな横に並んで、互いに苦手な分野を補完しながらシステムを構築します。
開発業務で最も嫌われるタイプの一つは和を乱すパーソナリティです。システム開発の役割は幅広く、ひとりで完結しないことは前述の通りですが、ひとりが複数人を兼任できないというより、ひとりの人間がすべての分野を深く網羅することが極めて難しいというところが最も大きな要因です。以前 SE の専門分野について触れましたが、そこでは大分類のみ触れています。より細かく分類すると、それこそ無数の専門が存在します。それに加えてデザイナにも分類があり、PM やディレクタにもプロジェクトの管理手法、見積手法などのノウハウがあります。それらを互いが完全に網羅することはほとんど不可能でしょう。お互いの専門にはアンタッチャブル、つまり、支配はできず、協力し合うしかないというわけです。
いちいち相手を自分より格上か格下か、そんなことを考えて仕事をしている人は成果物に集中できていない、本当に重要なことを理解できていない、ということになります。
枝葉の議論に終止する
これは向いている人の記事で書いた「物事の真髄を理解し俯瞰的に捉えられる」の逆のパーソナリティです。
パレートの法則をご存知でしょうか。いわゆる 8:2 の法則で、会社は 2割の優秀な人材が 8割の成果を上げるなどとされる理論です。これの応用として、業務においてひとつのタスクの 最初の 8割には 2割の労力が、残り 2割、つまり 100%にするために 8割の労力が必要、ということです。システム開発で言い換えると、
- 最初の 8割が期待したとおりに動くシステム
- 残り 2割が利用者からはわからないような美しいコード、ドキュメントが網羅された状態
といったところになります。意外と思うかもしれませんが、残り 2割から入る SE がかなり多いのです。SE として一人前になるにはそれなりの労力と時間が必要なことは何度か書いてますが、これにより一定のレベルに達すると自分の優秀さを周囲にアピールしたがる人になってしまうことがあります。自分は誰もができることでないことができる = 「わし偉い」みたいな感じです。そういう SE はレビューや打合せの際に、あまり重要でないような指摘を無数してしまいます。時間に余裕があればそれをすべて取り込むことも可能ですが、概ね余裕がないため、打合せが長引いたり、前向きな議論がしづらくなります。
僕が知る限り、優秀な SE ほど、最初の 8割にどのように最短距離で到達するかに執着します。資料やプログラムにちょっと引っ掛かるようなことがあったとしても、作成した本人にとって、或いはプロジェクトに利益とならないようなことは指摘しません。敢えて、勇敢に黙ることも重要なのです。
現状維持を好む
IT 業界の移り変わりが激しいのはご存知の通りですが、業界の情報にアンテナを貼らない、行動しないなどは本人にとってもよくないのですが、それを一定の立場の人が発信してしまうと周りにも悪影響です。例えばプロジェクトの責任者であれば、組織の向上意欲を削ぐ結果となります。
さて、ここでは「現状維持」についてもうひとつの考え方があって、こちらが本題です。システム開発の現場には次のような人が存在します。
- いつも忙しい
- その人にしかできないタスクが多い
こんな人が優秀だと思われる傾向が未だにあります。但し、このような人は典型的な「現状維持パーソン」である可能性が高いです。
その人にしかできないタスクがあって、いつも忙しい状態とはどういう状態でしょうか。これは言い換えると、
- いつも忙しい = 慣れているはずが、業務効率化をできていない
- その人にしかできないタスクが多い = 引継ぎを意識していない = 人を教育するのが苦手
要するに向上心がなく、コミュニケーションが苦手と言えるでしょう。この場合、本人に悪気がないことも多いのですが、無意識に現状維持が楽だという選択をしているということです。個人的にはこのように自分でしかできない業務を増やして付加価値を高める人を仕事人質人間と読んでいます。(長い目で見ると相当な迷惑が周囲にかかるものですが、それはまた別の機会に)
僕自身はいわゆる炎上プロジェクトに何年も、ちょっとしたポジションで従事していました。「いつも忙しい」ことはあっても「自分しかできないタスク」は意識的に標準化して周囲に回していました。その結果、これまで僕が関わったプロジェクトは僕の退室後も、困ったことは少なかったと聞いています。(もともと僕の影響力が大したことないと言われるとそれまでですが…)
どう考えてもあの当時の僕より忙しいようには見えないので、やはり怠惰だと言わざる得ないでしょう。
評論家
「枝葉の議論に終止する」に似てますが、自分が優秀であることを主張するために相手の粗を探し続けたうえに結論を出さない = 行動への手引がない、そのような人はただの評論家です。評論家は聴衆がいる前提のテレビやラジオではいいかもしれませんが、業務上はただの邪魔です。状況にもよりますが、確固たる思いがあるのであれば強制的にでも指示に従わせるか、相手に思案を促す、結論の選択肢を用意してチームで議論するなどが望ましい行動です。
評論家の怖いところは誰でもなれることです。物事には悪い側面が必ず存在するように、完璧なシステムも存在しません。批評しようと思えばいくらでもできるものです。
理路整然が過ぎる
これは IT 業界に限ったことではありませんが、理論が感情を征服することは絶対にできません。これまで見てきたような態度をする人の言うことは本能的に聞きたくなくなるものです。
例えば金曜日に自分が原因で大きなシステムトラブルがあって、土曜日に出社するように命令されたとしましょう。しかし土曜日は交際相手の誕生日で、昼も夜もどこかお店を予約していたとします。それを上司に言ったとしてこう言われたらどうでしょう。
「お前の責任なんだから出勤するのは当然だろ!!」
上司の言うことは正しいですね、はい、間違いなく正しい。でも命令された人は会社への信頼を大きく失うでしょう。ミスの度合にもよりますが、いち担当者が原因でトラブルになるようなシステムは開発のフローや進め方に問題があるのは明確です。個人を責めるより、まず予防ができなかった上司の責任です。
そもそも前提として私生活を犠牲にしてでも優先すべき仕事はこの世に存在しません。これらは両立して然るべきものだからです。
正論を頻繁に持ち出す人は現実が見えていない人が多いように思えます。世の中正論で片付かないことも多く、人は正論を振りかざす人に用心します。誰も論破されたくありませんからね。「まあ、言ってることは正しいけどねぇ…そうは言ってもねぇ…」と思われていると考えて間違いないでしょう。
一昔前までは空気の読めない SE が横行し、朝まともに出勤しない SE も当然のようにいました。しかし現在では勤怠の悪い SE は周囲への影響もあり契約が切られることも多くなりました。SE の敷居が下がったため、希少価値ではなくなってきたということでしょう。業界としては慢性的な人手不足ではありますが、下手な人がプロジェクトに参加するくらいなら未経験でやる気のある人を教育する、という方向にシフトしています。
ここで強調しておきたいのが、SE だからといって適切なコミュニケーションを取らなくてよいということでは決してない、ということです。内向的で話が苦手な人でもユーザと円滑にコミュニケーションが取れる SE はいくらでもいます(僕自身がそうです)。結果にコミットする、ちゃんと動くものを作るため最大限の努力は惜しまないことが重要だということです。ハッキリ言いますが、SE はその気になれば誰にでも務まる職業です。
寝ぬるに尸せず(いぬるにしせず)
という孔子の言葉があります。死んだように眠ってはいけない、即ち、誰かが見てなくても自分自身を律しなさい、ということです。油断せずにいきましょう。
脚注